近代的な遠近法は人が目に見たままを描いているわけではないというお話

03 09, 2016 | Tag,雑記
近代的な遠近法は人が目に見たままを描いているわけではない
画像: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Perspectiva-2.jpg


いわゆる透視図法なんてものをわざわざ学ぶことはバカらしいという意見を耳にすることがある。見たままを描けばいいだけじゃないかだとか、普通に生きていれば自然とパースの法則に気がつくはずだという意見も目にすることがある。ほんとうにそうだろうか。

こういう話を耳にするとどうももやもやする。近代遠近法が発明されたのはルネサンス期だ。普通に生きていれば凡人でさえ気がつくような法則に、クロマニョン人がラスコーで絵をかきはじめてから1万6500年もかかったの? 日本人はあんなに絵を描いていたのに気がつかなかったの?

人が目に見たままを透視図法に当てはめることは出来ない。これは簡単に証明できることだと思う。例えば両手のひらを広げて耳の横らへんに広げてみてほしい。真正面を見ていても視界の端に両手が見えていると思う。横方向への人の視野は角度にしておよそ180から200度といわれている。透視図法を用いてこの角度をカバーすることは不可能だ。と、いうと反論もあるかもしれない。いやいや、一番よく見える部分はしっかりと透視図法の原則に基づいていて、視野の端っこはゆがんでいるんだ、という反論があるかもしれない。

ぼくはそう思わない。人の視界は魚眼レンズのようにゆがんでいるんだと思う。そういうつもりで見ると人の視界は結構ゆがんでいるようにも見えるし、端っこですら全くゆがんでいないようにも思える。どうもつじつまが合わない。わたしはこのつじつまを脳が補正しているんだとおもう。哺乳類の目には視角にして約5度の辺り、腕を肩幅よりも少し広げた辺りに盲点というのがある。目の構造的に、物理的に見えていないはずの部分があるのだが、そんな真っ暗な点は見えないように脳が補正してくれている。こんな感じに我々の脳は我々の魚眼レンズを補正してくれているのだと思う。だいたい2つも目があるのにダブって見えないというのは道理に合わない。たぶん人の視界はバーチャルでしか再現できない。

先ほどの質問に戻るが、なぜ普通に生きていれば凡人でさえ透視図法に気がつく……、ような気がするのかというと写真が身近だからだろう。早い話が透視図法は人の見た景色ではなく、カメラが見ている景色なのだ。写真の中の世界はつじつまがあっているが、画角は人間の視界より狭くなる。人間の視界はつじつまがあっていないが、つじつまがあっているように脳が見せかけている。

最初にも述べたが近代遠近法が発明されたのはルネサンス期だ。フィリッポ・ブルネレスキが鏡を見ながらフィレンツェの大聖堂の階段を描いた瞬間に近代遠近法が生まれた。写真がみている景色であり、鏡が見ている景色が透視図法だということになる。1万6500年もかかった理由は、鏡も写真もなかったからだろう。水銀を用いた鏡が発明された1317年はルネサンスの黎明と重なる。こちらはパースについての言葉ではないのかもしれないがレオナルド・ダ・ヴィンチも鏡について言及している。

鏡は案内人と心得よ。正しい構図で絵を描けば偉大な鏡に映しても自然に見えるだろう。


じゃあ最初に戻るが、透視図法なんてものをわざわざ学ぶことはバカらしいのかという問題。当時としては大発見だったが、写真のあふれた現代に生きる人々はわざわざ学ぶ必要のないことなのだろうか。個人的にだが、自然に生きているだけでパースの圧縮率にまで気がついた人はわりと天才だと思う。

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元バックパッカーの引きこもり、世界に飛び出す引きこもり。当初は役立つ情報を、と思っていたんだけど自分の興味しか書けないね。

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