「あの花」分析

07 09, 2011
めんまのエロ画像

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

この春一番の人気を博したアニメ。最終話ではボロボロ泣いてしまった。なにがおもしろかったのかを分析してみようと思う。

アニメは非現実的なストーリーを扱う話が多い。やはり、アニメにする以上、ドラマに出来ない世界を作り上げた方がおもしろいからだろう。たとえ舞台や展開に無理が無い場合でも、汚いものは排除して、ほのぼの、あるいは萌えの世界を演出する場合が多い。

「あの花」の場合、めんまが実体の無い幽霊として描かれるそれ以外は極現実的な展開だった。そのために最終話ではぼろぼろと涙を流す感動系に帰結する。つまり謎が解けてスッキリするわけでもなければ、視聴後に作品の中にちりばめられたピースを拾い集めるという余韻を楽しむ作品でもない。

しかし余韻を楽しむことに慣れてしまっていると、ついつい物語の分析を始めてしまう。すると「あの花」の何がおもしろかったのかが分からなくなってしまう。なんであんなにぼろぼろと泣いてしまったのだろう。

「あの花」の物語を引っ張っていく直接的な誘因は「めんまのお願い」だけ。これだけでは観客を物語に引き込むには弱い。きっと間接的な誘因があるのだ。

繰り返し映し出されるのは「幼い頃の超平和バスターズ」。これが現在の六人との対比となる。ばらばらだった六人は精神的にその場所へと、暗黙のうちに回帰していく。つまり、暗黙のうちにゴールが見えていたことになる。六人の時が止まった瞬間という暗黙のゴールと「めんまのお願い」という謎が誘引となって物語を引っ張る。

このゴールは登場人物には見えていない、あるいは必ずしも共有されていない。そのために、観客は彼らを応援したくなる。始めはぼんやりとしたイメージに過ぎなかったゴールは、物語が進むに連れて少しずつはっきりとしていく。そして、ほとんど無意識のうちに「幼い頃の超平和バスターズ」をゴールとしてすりこまれてしまう。

「めんまのお願い」という誘因は物語の序盤でうまく働くが、直接的な誘因を引っ張りすぎると観客を飽きさせるものである。ところが、観客は「めんまのお願い」という謎に好奇心をくすぐられていたはずが、途中からその謎は半ばどうでもいいものとなってしまう。

最終話を見終わって、物語を鑑賞した直接的な動機であったはずの「めんまのお願い」を反芻してみると、実に陳腐なものに見えてしまうのだ。そして、ぼろぼろ泣いたけどなにがおもしろかったのかはよくわからない、という状態になる。

ゴールが見えていること、加えて解明されていない謎。この二つは観客を飽きさせないために欠かせない要素なのだが、この二つの誘因を終始一貫させることは意外と難しい。あの花の場合は一話でその両方が見え、そして最終話まで解決されない。

たとえばミステリーのように、物語の類型に寄りかかってしまうとゴールに曖昧さが無くなる。事件の解決しない推理小説なんてありえないので、ミステリーは気になっても探偵を応援する気にはならないだろう。

丁寧なプロットに引き込まれて、確かにおもしろいと感じる。しかし批評家を気取って、分析しようとしても何も出てこない。なんという完全犯罪。くやしいのう。くやしいのう。

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Author:じょなさん
元バックパッカーの引きこもり、世界に飛び出す引きこもり。当初は役立つ情報を、と思っていたんだけど自分の興味しか書けないね。

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