古典文学からけいおん!へ

12 26, 2010
古典文学からけいおん!へ


「大した事件が起こらないのに、ページを繰らずにはいられない」

これはサマセット・モームがジェーン・オースティンの「高慢と偏見」に寄せた評価だ。「高慢と偏見」の舞台は女ばかり五人姉妹のベネット家。オースティンは精緻な人物描写で長女ジェーンを取り巻く人間関係とジェーンの感性を親しみやすい文体で綴っている。

「高慢と偏見」は紛れも無い名作だ。しかし、今日のようにロストジェネレーションや戦後の群像文学を経験していると「事件が起こらない事」にさほど珍しさは感じない。結局のところ関係性の、淡い輪郭を描こうとすると事件は煩いのだ。

しかし群像文学の時代はバブル崩壊とともに終わりを告げる。文学が読まれなくなり、ライトノベルが幅を利かせるようになった。ライトノベルでは平易な文章で事件が起きる。事件を起こさずに文学的な殺伐さを描くとライトではなくなってしまう。

面白いことに、文学世代とライトノベル世代は、間にライトノベルテイストのアニメやゲーム世代を挟んでいる。つまり活字から活字へとは移行せずに、テクノロジーとともに発展するグラフィックな表現に期待を抱いていた世代があり、その後にはグラフィックな表現が当たり前になり巨大掲示板やメールやケイタイ小説で活字のおもしろさを知った世代がいるように思われる。

ケイタイ小説と言えば「恋空」だ。これこそ極めつけだ。オースティンは事件を描かずに人間関係を描いたが美嘉はひたすら事件だけを詰め込んだ。人間関係も存在しているのだが、登場人物が恋人の何に惹かれて、何に飽きて別れるのかさっぱりわからない。ケイタイ小説世代には、どういう状況でどういう感情を抱くという共通理解があるのかもしれないが、普通に読んでいると10秒で流産して次の10秒で男が変わる。

小説では恋人と別れるには理由が要るし、流産するにはきっかけが要る。これらは現実には起こりうるかもしれない。それはわかるが考えてみてほしい。殺人鬼に追い詰められた善良な市民を想い浮かべてほしい。

殺人鬼に追い詰められた善良な市民。絶体絶命。もはやこれまでと覚悟を決めるが…、殺人鬼が斧を振り上げた瞬間、突然の落雷が殺人鬼を襲う。

これは奇跡体験アンビリーバボーなら面白い話として紹介される。殺人鬼に襲われた少年はどうなったのか…、そこには元気に走り回る少年の姿が ― でハッピーエンドだ。しかしフィクションという体では受け入れられない。おいおい、作者の都合じゃないか ― という具合。小説が事実より奇であってはいけないわけだ。当然、恋空は「実話」を謳っている。

事件の無いリアリティが読まれなくなり、フィクションはリアリティを追求しづらくなった。加えてグラフィックでの心理描写というのはそもそもハードルが高い。そうなるとアニメは一つの事件をフィーチャーする王道か、SFやファンタジー、ラブコメが多くなる。特にラブコメに外れはない ― 残念ながら大当たりもないが。

また話は戻るが、恋空はたしかに話題になった。フィクションのありかたに一石を投じるのではないかという期待があったのだと思う。ところが結果的に評価されたとは言いがたい。次々に事件が起これば飽きない。飽きないうちは主人公が泣けばもらい泣きもできる。でもあとから考えるとやっぱり面白くなかったのだ。

ところが同じころ、事件の起こらないアニメの萌芽が始まっていた。正直アニメには疎いのだが、ぼくはこれはちびまるこちゃんが撒いた種が芽吹いたものだと思っている。ちびまるこちゃんにも事件が起きない。エッセイに近いテイストをもっている。そのエッセイに近いテイストをもった萌えアニメが「らき☆すた」だ。ぼくは1話しか見ていない。1話しか見ていないくせに偉そうだが、実はこれが問題。髪の毛がピンクなんだよ。ピンク、青、紫、紫。萌えアニメのあるべき姿なのかも知れないがパンピーには抵抗がある。ぼくに「らき☆すた」は見れない。

しかしこれが重要なステップとなり、事件の起こらないアニメというジャンルは萌え要素を獲得し、「けいおん!」へと発展していく。予想以上にひろげてしまったが漸く本題だ。事件が起こらないというリアリティにくわえて、けいおんは自然な髪色と紺のブレザーを手に入れた。さらには巧みにスイーツという萌え要素を取り入れ、不自然でないギリギリのラインまで男キャラを排除し、不自然でないギリギリのシチュエーションでメイド服とネコ耳を取り込んだ。きわどくも親を排除し、そのリスクと引き換えに魅力的な妹を作り上げた。ちなみにコミックでは一コマだけご両親が登場する。

けいおん!には、コメディ要素も多分にあるのだが、基本的にゆるく話が進行していく。事件に期待していなければ人は飽きないのだ。気がつくと話が変わっている。なんだ今の話は終わったのか ― と、ある意味で女性の会話に近い。枕草子、高慢と偏見、ちびまるこちゃん。やはりというか事件が起きないフィクションは女性の作品だ。

極身近にあるリアリティのずれから生じるキャラクターのかわいさを楽しむ。面白い、面白いと観るものではなくかわいい、かわいいと楽しむ。かわいいかわいいと36話も観ているとなると馬鹿みたいだが、多分暖かさを楽しんでいるのだと思う。誤解と偏見が身近にあるように暖かさも身近にある。乾いた感触の中でしか感じ取れない淡い輪郭があるように、殺伐さを排除したリアリティからしか見えない暖かさもあると思う。唯ちゃんかわいい!
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Author:じょなさん
元バックパッカーの引きこもり、世界に飛び出す引きこもり。当初は役立つ情報を、と思っていたんだけど自分の興味しか書けないね。

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